02:フォーラム家の朝


 まだ幼きフェリスの朝は早い。どうしてそんなに早いのかと問われても、朝日が昇って自然に目が覚めるから、としか言えない。
 姉弟たちからは、隠居した老人みたい、と言われるが、彼女は気にしない。朝に目が覚めて、そこからまた寝入ってしまったら、今度は深い眠りに入ってしまうこと確実だからだ。

 そんなこんなで朝はいつも手持無沙汰なフェリスは、今日も取りあえず庭に下り立った。趣味で始めている家庭菜園――もちろん食べられるものばかり――に水をやり、しばらくその成長ぶりを眺める。その後は、使用人たちが忙しなく仕事をする音を聞きながら、エントランスに設けられているソファに腰を掛け、読書を嗜む。大広間は朝餉の準備で大忙しであるし、かといって私室で本を読んだら、朝餉の時に再び階下に行くのも面倒だ。そういう理由で、フェリスはいつもこの中途半端な場所に座って本を読んでいた。そうし使用人たちの仕事もひと段落する頃、ようやく他の家族が眠りから解き放たれる。

「ふあぁ……ねむっ……」
「お坊ちゃま! ちゃんと目を開けませんと、階段から転げ落ちてしまいますぞ」
「はいはい……」

 そんなやり取りをして階段を下りてくるのは、フェリスの弟、アレックである。緩慢な動作でフェリスは顔を上げた。

「おはよう、アレック」
「フェリス……! 今日も無駄に早く起きているんだな。全くご苦労なことだ」
「坊ちゃま! またお嬢様にそんな口の利き方をして……。ちゃんと姉上は敬うものですよ!」
「こっ、これが姉上なものか! こんな、こんな……何もかもに無関心な女が!」

 アレックはわなわなと震える手を姉に向けた。一方の姉、フェリスは……ご名答、もうすでに注意は手元の本へと向かっていた。

「ほら見ろ! フェリスはいつもこうなんだぞ! フォーラム家の嫡男であるこの俺に対して!」
「ま、まあまあ坊ちゃま、落ち着いて……。もはやこれはいつもの事なのですから、ここは坊ちゃまが引きましょう」
「なんだと! この俺が引くだと!?」
「駆け引きには、時には引くことも大事ですよ」
「……ふんっ、まあいいだろう」

 そう言って、一行は騒々しく大広間へと向かっていった。この間、もちろん当のフェリスは無関心。弟の気持ちも分からなくはない、とすぐ傍にいた執事は後に語った。

 次に降りてきたのは、姉のマライアだ。ばっちりお化粧を施して、新調したばかりのドレスを身につけている。これまたゆっくりとした動作でフェリスは顔を上げた。

「おはようございます、姉上」
「……あなたはまたそんな見苦しい格好をして。女としての恥はないのかしら」
「お言葉ながら姉上、生憎私には姉上のような恰好は似合いそうにもありません」

 さすがのフェリスも長幼の序には従うのか、マライアの言葉には大人しく返答した。

「私が言いたいのは、せめてもの身だしなみを整えろってことよ! 似合う似合わないの問題ではなくてね、令嬢として恥ずかしくないような恰好を……って、聞いてる?」

 ――惜しい! マライアが一言で終わらせないので、折角続いていたフェリスの集中力も切れてしまった。もちろん注意は手元の本にあった。

「もういいわよ! 折角私が話しかけてあげてるのに!」
 やはり姉弟、というべきか、マライアも弟と似たような怒り方をしながら大広間へと向かった。

 フェリス様を構いたくて仕方ないんですね、マライア様は。……そのお気持ちはフェリス様には届いていないようですけれど、とすぐ傍にいた侍女は後に語った。

 その後に優雅な動きで降りてきたのは、フェリス達の母、オリヴィアである。さすがにマライアとまではいかないが、それでも淑女らしい服装をしていた。

「おはようございます、母上」
「フェリス、またそんな本ばかり読んで……。そんなことをするくらいなら、ダンスの一つでも覚えたらどうなの?」
「申し訳ありません。しかし私にはダンスは向いていないようでして」
「向いていないんじゃなくて、興味がないのでしょう。あなたは興味が無かったら、全て自分は向いていないの一言で終わらせて……。あなたも貴族の娘に生まれたのですから、それなりの行儀作法は覚えていただかないと」
「はあ……」

 無理やり生返事を生み出したフェリスだったが、肝心の内容は頭の中に入っていなかった。興味のないことは全て頭から消え去る都合のよい仕組みとなっていた。

「はあ、もういいです。あなたも早く席に着くように」
 そう言って母は静かに大広間へと向かった。

 奥様……、昔はお子様に少しの関心も寄せられなかったのに。今では目についたら自分から話しかける様になられて……! 私めは感激しました! ……事実のみを言えば、単に何もかもに無頓着な娘に小言を言っているだけなのだが、それも感涙の涙を流す乳母には聞こえていないようだ。

 最後に重々しく階段を下りてくるのは、当家の主である。これにはフェリスも立ち上がり、一礼する。

「父上、おはようございます」
「ああ」

 沈黙の中、当主の傍らに控え、フェリスも大広間へと続いた。――どうやら、フェリスの物静かな性格は父親似なようだ。しかし、どこか達観したような物言いは、姉弟達や他貴族達を反面教師にして育ってきたせいかもしれない。フェリスのすぐ後に、待望の男児が生まれたせいか、彼女は存在が薄くなり、あまり構われて育つことがなかった。そのため、フェリスは一人遊び――主に読書を好み、そして他人と関わるのが次第に面倒な性格になっていたのである。

「おはようございます、父上」
「おはようございます、お父様」
「ああ」

 父親が大広間に入ってきたのを皮切りに、アレック、マライアは同時に声をかけた。
「頂こうか」

 五人は黙々と朝餉を口に運ぶ。その光景を眺めていた古参の使用人は思わず涙を堪えた。――ほんの少しまでは、皆様別々に朝食をとっておられたのに!

 まだフェリスが生まれる前、当主とその妻、そしてマライアは起床時間が別々のため、朝餉はそれぞれでとっていた。しかしフェリスが生まれてからは別だ。フェリスは毎朝、朝餉も取らずにエントランスで読書に勤しんでいる。そんな姿を見ているアレックは、自分一人が先に頂くわけにもいかず、大広間で大人しくお預けを食らっている。次はマライアだが、朝餉を物欲しそうにしている弟の手前、食べてもいいものか、いつも迷って結局食べずに椅子に佇むこととなる。そこに現れる母親だが、子供たちがなぜか朝餉に手を付けていないので、自分も手を出しづらい。そうして当主が大広間にやってき、声をかけることでやっと皆朝餉にありつくことができるのだ。無意識の所業とはいえ、家族の習慣を丸ごと変えてしまったフェリスであった。

 フォーラム家を裏で操っているのは実はフェリス様です、とは、使用人一同の総意である。