第十五話 急がば走れ

95:意外な手助け


 通りには、王立騎士団員たちがうじゃうじゃといた。
 こんなに騎士団の人員を割くほど、誘拐の罪は重かっただろうか。いや、確かにそれはそうだろう。何しろ未成年を、しかも三人も誘拐した……と言われているのだから。しかし、これはいくら何でもやり過ぎだ。

 ……でももし、彼らに捕まってしまったら、フィリップはどうなる――。

 そんな自問自答を繰り替えしながら、アイリーンは必死で駆ける。既に体力の限界だった。しかし立ち止まったが最後、すぐ後ろから手が伸びてくるのではないかとという不安に襲われ、立ち止まることすらできなかった。

 しかしいくらそう思っていても、いつか限界は来る。次第に足取りが緩み、ふらっと倒れそうになった時、彼女の腕は誰かにとられた。

「おいっ、お前――」
 しかし、腕を取られたことで、バランスが崩れ、更に足がもつれた。転ぶことは無かったものの、目の前の男と顔を突き合わせることとなった。

 男の顔を穴が開くほど見つめながら、アイリーンは眉を顰める。

 ――あらこの人、誰だったかしら。

 アイリーンが考えていることが分かったわけではないだろうに、その疑問を肌で感じ取ったのか、彼は嫌そうな顔をした。

「ファウストだ!」
「ああ、そうだったわね」

 ちょっとすっきりした気分でアイリーンは頷いた。確か、カインの護衛をしていた潔癖症だ。

 しかしそうそうゆっくりもしていられない。
 アイリーンはすぐにそう思い立ち、先を急ごうと身を乗り出した。しかしファウストがそれを許さない。彼女の肩を、力強くガシッと掴んだ。

「お前、追われているらしいな」
 ぴくりとアイリーンの肩が揺れた。ファウストはにんまりと笑みを浮かべる。

「日ごろの行いが悪いからだろう。お前、他にも色々と変な噂があるらしいな」
「あなたには関係ないでしょう」
「ある。俺も王立騎士団の一員であることを忘れたのか?」

 ハッとしてアイリーンは顔を上げる。相変わらず彼は無表情だった。敢えて言うならば、その口角が見下すかのように上がっているところか。
 アイリーンは唇を噛みしめる。今にも後ろから追手が飛び出してきそうだが、まずは目の前の男を対処しなければ、ここから動くことはできない。

「……見逃して」
 アイリーンの静かな声に、ファウストの身体が一瞬固まった。

「お願い」
「…………」

 ファウストは黙り込む。虚を突かれた思いだった。
 まさか、こうも素直に頭を下げられるとは思っていなかった。精々、見逃しなさいと偉そうに言われるくらいが良い方だと思っていた。だからこそ、余計に調子が狂う。

 腹立たしいような、むず痒いような。

「あー……」
 ガシガシっと頭を掻くと、ファウストはアイリーンを路地の隙間に押し込んだ。

「なっ、何――」
「そこで大人しくしていろ」

 アイリーンが騒ぐ間もなく、やがてすぐに数人の騎士たちがやって来た。彼らも学習したのか、足音を忍ばせている。もう少しで見つかるところだったのか、とアイリーンは背筋が凍った。

「ファウスト隊長?」
「お……おー、ご苦労だな、第一隊」
「は、はあ……」

 普段と違う様子を見せるファウストに、若干困惑気味の第一隊の騎士。

「隊長は……どうしてこんな所におられるのですか? それに先ほど、この辺りから女性の声がした気がしたのですが……」

 完全に気付かれてるじゃない!
 ファウストに危機を救われたことを棚に上げ、アイリーンは内心地団太を踏んだ。

「えー、そうかー? 俺は聞こえなかったけどなあー」
 わざとらしい棒読み。
 頼もしくアイリーンをここへ押し込んだ割には、大層な大根役者である。

「あ……で、女、探してるんだったな? もしかしてあっちの方へ行ったのかもしれないなー。あっち探した方がいいんじゃないかー?」
「え……で、でも、そちらに……女性の靴が……見えるのですが」
「――っ!?」

 口をあんぐり開けて、慌ててアイリーンは足を引っ込めようとした。しかし残念、ここはそんなに身動きができるほど広くはない。後ろの樽に躓いて、ガシャーンと盛大な音を立てて彼女はひっくり返った。

「…………」
「…………」

 馬鹿!とファウストの心の声が聞こえるようだった。
 仕方ないじゃない、ここ狭くて縮こまれないんだから!
 アイリーンも負けじと心中で言い返す。もちろんファウストに聞こえるわけもないが。

「……隊長。どいてもらっても、構いませんか」
「…………」

 ファウストは、大根役者なりに頭を必死に回転させた。この場で見つかるのは何としてでも避けたかった。そうして思いついたのが。

「……や、野暮なことはするな。逢引の邪魔をしたいのか?」
 アイリーンを抱き込み、騎士たちを一睨みすること。

「ちょ……なっ、何を――」
「静かにしろ!」

 アイリーンが真っ赤になって暴れ、ファウストは更に彼女をきつく抱え込む。

「た、隊長……」
 騎士たちの顔は段々赤面していく。

 騎士という仕事は、昔から女性たちから憧れの目で見られることは多い。が、何せ仕事が忙しいので、碌に恋人も作れない。つまり何が言いたいのかというと――彼らはひどく純情だった。

「しっ、失礼しましたっ!」
 口をパクパクさせながら、騎士たちは一目散にこの場から逃げ出した。邪魔をしてはいけないとか、あの隊長が恋人と!とかいろいろな思いが頭を駆け巡り、上からの命令はうっかり頭から抜け落ちていた。そもそも、リーヴィス=アイリーンを捕らえよとの命令は下されていても、肝心のその当人の顔を知らなかった。

「行った……か」
 足音が小さくなっていくのを確認し、ファウストは小さく息を吐いた。その腕の中から、ぷはっと抜け出すのはもちろんアイリーン。

「窒息するかと思ったわよ! 少しは手加減して欲しいものだわ」
「何を……元はと言えばお前のせいだろうが! あんな緊迫した状況ですっ転ぶ奴がどこにいる!」
「だ……だって狭いんだからしょうがないじゃない!」
「――二人とも、今の状況が分かっているのか?」

 やんややんや、更なる口論に発展しそうなところで、後ろから控えめな声がかかった。

「この声を聞きつけてまた先ほどの騎士たちが帰ってきたらどうする。もう少し小さな声で」
「カイン!」

 アイリーンは驚いて飛びのいた。自分がずっと隠れていた路地のさらに奥、そこに第一王子がいたことに対する驚きだ。――少々の気まずさもあったのかもしれない。それはカインも同じだった。

「なかなか……声をかけづらかった」
 アイリーンは思わず閉口した。わざわざ言わなくてもいいのに。

「やむを得なかったんです。彼女一人が見つかるのならまだしも、殿下まで彼女と一緒の所を見られるわけにはいかない」
「……分かってるわよ」

 ファウストのもっともな言葉に、アイリーンは静かに頷く。

「助けてくれてありがとう。もう行くわ」
 それだけ言って、アイリーンは歩き出そうとするが、カインがそれを許さない。

「アイリーン」
「な、何――」
「力を貸そう」
「は……はい?」

 有り難い申し出だが、いくらアイリーンでも、それが危険であることは分かっている。カインの立場を思うと、そう易々と手を借りる訳にはいかない。

「ここに一頭の馬がいる。乗って行け」
「で、でも――」
「僕は馬を貸したんじゃない。盗まれただけだ」
「…………」

 しれっと言ってのけるカインに、アイリーンは呆れた様な顔になる。

「……それだと、私の罪状がどんどん増えていくじゃない」
「今更だろ」
「……それもそうね」

 四の五の言っている暇はない。今はただ、貰えるものは貰っておくべきだ。
 そう決心し、アイリーンは馬の左側に立つ。むっつりと黙り込んだまま二人の男に見られているので、緊張しないわけがなかった。

 ここに足をかけるのね……。
 馬が大きいせいか、鐙の位置も高く感じる。スカートがひどく捲れるわ、と一瞬考えたが、すぐにその思いを振り切った。今は何より、フィリップのことの方が――。

「乗る時は左足からだ」
「…………」

 アイリーンは静かに右足を降ろした。やはり、いくら何でも無謀だった。

「う……」
 顔を俯かせ、もじもじと手を動かす。

「馬に、乗れないのよ……」
「はあ?」

 ファウストが素っ頓狂な声を上げた。すぐにそれは馬鹿にしたような表情へと変わる。

「情けない奴だな、馬にも乗れないのか!」
「当たり前でしょう! 淑女が乗馬の訓練なんて受けてるわけないじゃない! ……で、でも、やっぱりちょっと乗れそうにないから……馬は、諦めることにするわ」

 歩くよりも走るよりも、やはり馬で駆けた方がよっぽど早いはずだ。しかし、自分には乗りこなせそうもない。アイリーンは無理矢理自分を納得させ、馬を諦めようとした時、ファウストが大きなため息をついた。

「ったく、仕様のない奴め……」
 ぶつぶつ言って馬に乗ると、アイリーンに向かって手を差し出した。

「ほら、掴まれ」
「え……で、でも」
「早く」
「う……」

 おずおずとアイリーンがその手に掴まると、一気に持ち上げられた。声を上げる暇もなく、気づいたら馬上にいた。

「殿下、くれぐれもお気をつけて」
「大丈夫だ。護衛はまだたくさんいるからな」
「……え?」

 アイリーンが首をかしげる間もなく、カインの後ろからぞろぞろと護衛達がわんさか出てきた。

「…………」
 よくもまああんな細い路地に隠れられたものだわ……じゃなくて!

「なっ……あんなに大勢あそこに隠れていなかったら、私だって靴が見えないくらい奥に隠れることだってできたはずだわ!」
「もう過ぎたことだ。忘れろ」
「な、何だか理不尽……」

 アイリーンは小さく文句を言ったが、やがてファウストに舌を噛むぞと言われたので、もう何も言わなくなった。