第十四話 会うは離散の始め
89:ウィルドの決意
「私たちが最初に出会ったのはウィルド」
ガタガタと揺れる馬車の中で、アイリーンの小さな声が響いた。
「私とステファン、二人で暮らしていたあの屋敷に、夜な夜な畑の作物を食べ散らかす誰かがいたの。私とステファンは話し合って、とにかくその犯人を捕まえようって、夜に二人で畑に張っていたのよ。そしてそこに現れたのがウィルド」
「……何となく想像がつくのが悲しいな」
オズウェルは頭を抱える。アイリーンも彼の気持ちが分かるので、ふっと微笑を浮かべた。
「でしょう? あの子、昔から食欲旺盛だったみたいでね、まあ成長期だったというのもあるんでしょうけど……」
アイリーンは言葉を濁した。ゆっくりと紡ぎ出す。
「ウィルド……私も詳しく知らないんだけど、捨て子……らしいわ。ウィルドが、ある日ぽつりと漏らしたの。親に売られたんだって。その頃丁度飢饉があったから、多分その影響だとは思うんだけれど」
「…………」
意外な事実に、オズウェルも言葉を無くした。
「ウィルド、それ以上はもう何も口に出さなかった。家族のことを聞くと、時々怒ったような、悲しそうな顔をしたから、私もすぐに聞くのを止めたんだけど」
「そうか」
「ええ、それでウィルドと一緒に暮らすようになって――」
「ちょ――待て、話が飛躍しすぎている」
慌ててオズウェルが口を挟んだ。
「なぜウィルドを屋敷に引き入れたんだ? その時点ではただの盗人だろうが」
「あー……っとその、その子、ちょっと怪我しちゃって……私のせいなんだけど」
「怪我?」
全く脈絡がなく、オズウェルは眉をひそめた。
「その……ね、野菜泥棒を捕まえようと息巻いて、その泥棒――ウィルドと取っ組み合いしちゃって」
「はあ?」
「だって仕方ないのよ! ようやく夜な夜なうちの畑を荒らす犯人を捕まえられる!と思ったらカーッと頭に血が昇っちゃって……その、つい」
「…………」
オズウェルは頭を抱えた。アイリーンを監督しなければならないステファンが哀れだと、今更ながらに思った。
しかし気のせいか、ウィルドのことを話すアイリーンの目はキラキラしている。つい先ほどの落ち込んだ様はすっかり鳴りを潜めているらしい。
なぜかホッとして、オズウェルはさらに尋ねる。
「結局、なぜウィルドは屋敷に留まることになったんだ?」
「ああ、そのことね。ウィルド、たくさん野菜取って行ったし、荒らしたしで、こっちも被害が大きいでしょう? だから、その被害分くらいは働いてもらおうかと……。身寄りもないみたいだし、そのまま行方を眩まされても困るから、いっそのこと家に住ませようって……」
「何だその短絡的な考えは……」
オズウェルは再び頭を抱えた。身寄りがないからと言って、普通見も知らない子供を家にあげるだろうか? どれだけ頭に血が上っていたんだ……。
しかしそれは口に出さないで置いた。彼女が嬉しそうに話すことに、水を差すのは憚られた。けれども、時々呆れたようなため息が己の口から漏れ出ていることには気づかないオズウェルであった。
「でもね、ウィルドには感謝してるの。あの子が来てから屋敷はすごく明るくなったのよ。私とステファン、その頃はまだ姉弟としてぎこちなくって、少し遠慮があったの。でもウィルドが来てから、気づいたら私もステファンも叫びっぱなしだった。盗み食いはするな、勉強はサボるな、後片付けしろって」
「……それは感謝すべきことなのか?」
「それはもちろん! ウィルドのおかげで、私達らしさが出たなと思うの。……と言っても、ステファンはちょっとガミガミうるさくなり過ぎだと思うんだけれど」
「一応聞く。届け出は?」
「……出してないわ。とにかくウィルドを働かせようって躍起になってて、忘れてた」
「はあ……」
「それはもちろん、時々は思い出してたのよ。ああ、届け出出さないとなって。でも……何があったのかは知らないけれど、子供を……手放すなんてこと、あってはならないんじゃないかしら」
ウィルドの両親は、ウィルドのことを心配しているかもしれない。
それは分かっていた。しかし、許せなかった。たった一度でも子供を、ウィルドを手放したことが。
私には想像もつかない事情があったのかもしれない。葛藤があったのかもしれない。
でもそんなのはウィルドには分からないことだ。ウィルドは確かに傷ついていた。それだけで、アイリーンは自分が怒っても良いと思っていた。独善的でもいい。私が許せない。
「……本当は、届け出なんて出さなくても、ウィルドのご両親がウィルドを探し出してくれたらなって、そう、思ってた」
二つの思いが相反してアイリーンの中にあった。
ウィルドの両親が、ウィルドを探し出してくれれば。
ウィルドを捨てた親に、ウィルドを渡すものか。
もしもウィルドの家族を名乗るものが現れた時、アイリーンは自分がどうすればいいのか分からない。分からないが、ただぼんやりと思っていた。
きっと、その時はウィルド自身が決めるんでしょうね。
そう思っていた。
*****
厳しい訓練の後は、お腹が減る。
それは自然の理の様なもので、ウィルドはそう言い訳をすると、周囲が引くほどの勢いでがつがつと料理を口の中へ押し込んでいた。
騎士の中には、あまりに運動し過ぎると、逆に食欲がなくなってしまうという不憫な男もいるらしい。最近ウィルドの友達になったセオドアが、自分がそうだと言っていた。しかしウィルドはもちろんそれに当てはまることは無い。むしろ、厳しければ厳しいほどお腹が減る。訓練内容と食欲は比例しているのである。
比例、比例。
最近習った単語を、得意げに頭の中で繰り返しながら、なおもウィルドは掻き込んだ。
そんな中、彼の目の前に人影が現れた。小柄なその人物は、腰に手を当てている。
「おい」
「…………」
ウィルドは無言で料理を掻き込む。食事中は、よっぽどのことがない限り、料理から意識が飛ぶことは無かった。
「おい!」
セオドアは怒鳴った。それはもう、周囲の人たちが、何事かとこちらを振り返るくらい。
ようやくウィルドも顔を上げた。もぐもぐと口を動かしながら。
「ん……んん?」
「ったく、お前は本当に食事の間は駄目駄目だな。呼びかけくらいすぐに応じろ」
「……もがっ」
「ああ〜もういい! とりあえず口の中のものを全部飲み込んでから話せ! 俺に欠片が飛んでくるだろうが!」
既に一度、セオドアは経験済みだった。食事中、あんまりウィルドが無視するものだから、無理に彼の肩を強く引いて、彼の注意を引いた。すると、抗議の声でもあげようと思ったのか、ウィルドの口が大きく開いた。自然、中のものが飛び出す。それは見事にセオドアの顔面にぶちまけられた。
「……お前の兄だって人が呼んでるぞ」
ウィルドの口の中のものが、全て胃に送られたことを確認した後、セオドアは口を開いた。怪訝そうにウィルドの眉が寄る。
「兄?」
そしてすぐに思い出す。そういえば、以前ステファンがここへ訪れたことがあった。
「ステファンかな」
ウィルドがぽつりと言うが、セオドアは聞いていない。ぶつぶつと独り言を繰り返す。
「ったく、何で俺がこんな雑用みたいなこと……」
「ありがとな! 俺行ってくるよ」
パンやらスープやらを最後に口に詰め込み、ウィルドは立ち上がった。またもや口をもぐもぐさせながら歩くので、周囲の人はさっと彼から離れた。
騎士見習いとして訓練する間、休みは月に数回しかないが、家族との面会は制限されていない。面会の場合、大抵は宿舎の入り口付近で行われた。ウィルドはそこへ向かう間中、ぼんやりとステファンについて考えていた。国立学校は大変なのに、こんなに何度も会いに来て、果たしてあいつは勉強について行けるのだろうか、と。
しかし入り口付近まで来たところで、ウィルドの足ははたと止まった。向こうもこちらに気付く。
「ウ……ウィルド……?」
彼が一歩近づく。逞しい体つきに、背の高い彼。ステファンとは、似ても似つかなかった。
「お……俺だよ、ブレットだよ」
ブレットは、堪え切れない笑みを浮かべていた。泣きそうにも見える。ウィルドは、自分でもよく分からない表情を浮かべた。様々な感情の入り混じった表情。
「こんなに大きくなって……」
ブレットがウィルドを抱き締めようとしたところで、彼はウィルドの擦り切れた肘に気が付いた。大袈裟に彼の腕を掴む。
「ウィルド! 肘のとこ怪我してるじゃないか! 誰にやられたんだ? もしかしてお前を誘拐したっていうリーヴィスって人に――」
「――違う!」
反射的にウィルドはその手を振り払った。ショックを受けたように、ブレットは固まった。ハッとして、ウィルドは慌てて言い繕った。
「あっ……ち、違う。これ……これ、訓練の時に怪我しちゃって……。って、ていうか、何で兄ちゃんがここに……。そもそも……え、師匠が誘拐したってどういうこと?」
自分でも何を言っているのか分からなかった。ブレットの言葉と自分の言葉が、ぐるぐると頭の中を回っていた。
「ウィルド、お前誘拐されたんじゃないのか?」
何か、弟の様子がおかしい。
ブレットがそう思って、ゆっくり問いただすと、ウィルドは勢いよく首を横に振った。
「違うよ! 俺は自分の意志であそこにいたんだ!」
「……そうなのか?」
「そもそも……何だよ、誘拐って! 父ちゃんが……父ちゃんが俺を売ったんだろ。誘拐も何も、あるわけないじゃん……」
ウィルドの声が尻すぼみに消えていく。ブレットはハッとしてウィルドの肩を掴んだ。
「ち、ちがっ……! ご、ごめん。でも俺……」
「だって、俺……見放されて――」
「なわけないだろ! 違う、違うんだ。俺たちは何も知らなかったんだ。父さんが仕組んだことなんだ。俺たちは、ただウィルドが商家に弟子入りしたって聞いて、でも様子を見に行ったらウィルドはいなくて!」
「分かんないよ。何で、何で今更――!」
「ウィルド!」
ブレットが叫んだ。ビクッとウィルドの肩が揺れる。ブレットがウィルドの顔を覗き込んだ。
「父さんは死んだ」
その顔は、穏やかだった。
「――っ!」
「だからもう怖いものは何もない。ウィルド、またこっちに戻って来いよ」
「……っ」
言葉も出なかった。一歩一歩とウィルドは後ずさる。
「な……何だよ、ちょっと待ってよ……」
弱弱しい声だった。
「そんなに一気に話さないでよ……。何だよ、父ちゃんが死んだってどういうこと……!」
「ウィルド……」
両手で顔を覆うウィルドに、ブレットは一歩下がり、小さな声で言った。
「……父さん、昔から大酒のみだっただろ? それで肝臓を悪くしたみたいで、半年前ぽっくり。墓は村の近くに建てた」
「…………」
ウィルドは黙ったままだ。
「俺たち、ずっとウィルドのことを探してたんだ。だから……ウィルドの安否が分かった時ほど、嬉しかったことは無い」
ウィルドは、顔を上げてくれなかった。
ブレットの胸に、一抹の不安が過る。
もしかしたら、ウィルドはもう俺のことを兄と呼んではくれないかもしれない。もしかしたら、ウィルドにはもう既に俺たちよりも大切な人がいるのかもしれない。
「ウィルド」
ならば、俺が言うべきことは。
「俺たちの所に、王立騎士団が来たんだ。ウィルドが誘拐されたって。犯人はリーヴィス=アイリーンという人だと」
怪訝そうにウィルドの眉が寄せられる。しかし構うことなくブレットは続けた。
「その人、今騎士団に捕まってるらしいんだ」
「――っ」
ウィルドが息を呑む音がした。ブレットは泣きそうになって微笑んだ。
「行ってあげて。俺のことは……いいから」
「――っ」
一言も発することなく、ウィルドは駆けだした。その後ろ姿に、ブレットは声をかける。
「ウィルド!」
彼は振り向かない。
「俺……俺、この近くのベイリアル通りの宿に泊まってるんだ! 三日しかここに滞在できない。だから……だから、全部終わったら、会いに来てくれると嬉しい!」
懐かしいブレットの響きが、ウィルドの耳にいつまでも余韻として残っていた。それでも、彼は振り向かなかった。今は、目の前のことしか頭に無かった。
「ウィルド?」
セオドアは訓練場に向かっている所だった。前方からウィルドが走っているのが見え、思わず眉をひそめた。何やら本気で走っているようなので、少し気にかかり、彼に声をかける。
「そんなに急いでどこへ行くんだよ。今から午後の訓練だぞ」
「うん……俺行く」
「ああ――って!」
行く、と言っておきながら、彼が向かうのは門の方。
「ちょ……! だから訓練だって! どこに向かっているんだ」
「抜け出す」
「はあっ!?」
今度こそブレットは素っ頓狂な声をあげた。何が何だか分からないが、とにかくウィルドの腕を掴んだ。
「お前! 何言ってるのか分かっているのか? 無断で抜け出したら、それこそどんな厳罰を下されるか……!」
「でも……行かないと」
ウィルドの馬鹿力によって、セオドアの腕は振り払われる。そのことに、何だか無性に腹が立った。
「意味……分かんねえ! 折角コネでここに入ったんだろ、教官に気に入られてるんだろ!? 何でわざわざそれを台無しにするようなことをするんだ――」
「帰る家があるから」
ウィルドの言葉は端的で、セオドアにはさっぱり分からない。しかし、真剣な彼の瞳に何も言えなくなる。
「俺の家はあそこなんだ」
自分のかつての兄が、兄でないとは思わない。
しかし今一番大切なものは、もう心に決めていた。