第十一話 恋は理性の外

67:からかいと脅し


 申し訳程度に設けられたベンチに座り、アイリーンはただボーっと月を眺めていた。ここは騎士団の詰所で、彼女は一人だった。つい先ほどまで行動を共にしていたオズウェルは、井戸の近くで部下と思われる騎士と、何やら深刻そうな顔で話している。

 神妙な顔で俺の用事に付き合ってもらう、と言われた時は、どんな用事だろうと内心わくわくしていたのだが、まさかただの見回りの報告だったとは……。

 そもそもここは女人禁制で、私は入れないのではないか、と彼に問うてみると、お前は当てはまらないから大丈夫だと。全く失礼なことだとアイリーンは鼻息を荒くした。

 ――実を言えば、オズウェルの言う女は、騎士を見てキャーキャーと騒ぎ立てる女、という意味だったのだが、言葉足らずな彼の台詞からそれを推察せよと言うのは些か無理があるというもので。結果、アイリーンは憤慨しながら一人でベンチに座るに至ったのである。

 このような祭りの日にまで真面目に騎士の任務をこなすオズウェルは、まさに騎士の鏡だ。しかしそれに付き合わされる部下の身にもなってほしいと言うものだろう。じーっと観察してみると、詰所へ帰ってくる者帰ってくる者、皆が死んだような瞳をしていた。それはそうだろう。祭りで皆がはしゃいでいる時に、自分たちだけが騎士団の制服に身を包み、男二人組で見回りをしなければならないのだから。独り身ならまだしも、妻帯者や恋人がいる者は苦労しそうだ。

 噂をすれば何とやら、ではないが、今もまた、疲れ切ったような表情でマリウスが帰還した。今の今まで恋人といたはずなのだが、あの憔悴しきった様子。おそらく、いつオズウェルに見つかるかと冷や冷やしていたのだろう。

 声をかけようかアイリーンはしばし逡巡していたが、彼の方はこちらに目を向けた後、そんな躊躇いなど一瞬たりとも見せずにやって来た。相変わらずその表情は疲れ切っていたが。

「あれ、どうしたの、こんな所で……」
「いえ、ちょっと……まあ、いろいろありまして」

 この場合は何と言えばいいのだろう。
 迷いに迷って、適当に言葉を濁らせていると、彼の方で勝手にピンときたのか、キョロキョロと辺りを見回した。そして当然目に入る隊長の姿。

「ああ〜、なるほどね」
 勝手に合点がいったようだ。途端にニヤニヤと癇に障る表情になった。

「なになに、二人いつの間にそんなに発展してたんだよ〜。いやあ、言ってくれたら俺だって手伝ったのになあ」
 先ほどまでの疲労はどこかへ飛んで行ってしまったかのように、マリウスはすっかり元気になった。というより、それよりも気になる、面白そうなことを見つけたと言わんばかりの表情だった。

「で、いつ付き合うことになったの? きっかけは?」
「……何を勘違いなさっているのかはわかりませんが、付き合ってません。誤解なさらないよう」
「うっそだー! じゃあなんでここにいるの? オズウェルの付き添いでしょ?」
「う……」

 アイリーンは黙り込んだ。何といえば良いのだろうか、今日の二人の関係性を。

「隠さなくたっていいのになあ。別に俺は誰かに話したりしないし。ほら、俺優しいから」

 ピキッとアイリーンの額に青筋が立った。
 何だか腹が立った。その一心である。それ以外に理由なんていらない。

 逢瀬を楽しむ二人に気を使って今日は辺りを駆け回ったというのに、当の本人はこんなにおちゃらけていて。そんなの、腹が立たないわけがない!
 彼女は静かにマリウスを見据えた。

「隠すも何も、事実ではありませんから。そもそも、マリウスさん、そんなに余裕を見せてよろしいんですか?」
「何が?」
「あなただって今日恋人と二人でいたくせに。このことをあの人に告げ口してもいいんですけれどね」

 オズウェルの方を視線で示してみる。マリウスはサーっと青くなった。

「み、見てたの……?」
「ええ、もちろん。優しい私は黙っていようかとも思っていましたけど、あなたがそんな態度なら、もう何の躊躇いもなくなりましたわ。好きにさせて頂きます」

 にっこり笑って、大きく息を吸い込んだ。

「あの、すみません――!」
「う……うわあぁ!」

 アイリーンよりも大きな声を出し、彼女の声を遮ったのは、もちろんマリウスだった。それに負けじと更に彼女が声を張り上げるので、ついに実力行使に出て、アイリーンの口を手で無理矢理抑え込んだ。

「ごめんごめん、謝るから……謝るからオズウェルにだけは言わないで!」
 もがもがとアイリーンは抵抗して見せた。余計彼女の瞳が怒りに燃えたぎっている様に見えて、マリウスは慌てて手を退けた。

「ああ、ごめん。でも本当に勘弁して……」
「さあてどうしましょう。私、何だか怒りが収まらないんです」
「ええ……俺そんなに変なこと言った? ちょーっとからかっただけじゃん」
「それがいけないんです。そもそも私達、付き合ってませんから」
「……だって」

 しかしマリウスは未だ言い足りないようである。いい加減アイリーンは面倒になってきた。強力な切り札をまたも掲げる。

「言いつけますよ?」
「…………」

 マリウスは黙り込んだ。ようやく彼の揶揄から逃れられるのか、とアイリーンが安心しきっていた頃、怒涛の第二波がやって来た。

「またそれだ! そもそも二人をからかうのと俺のこととじゃ割に合わないんだよ! こっちはその話が隊長に伝わった瞬間、何もかも終わりになるんだから! だからちょっと嬉しかったのに、オズウェルの弱みを握れたって!」
「な、何て言い草……! 俺優しいとかどの口がほざっ――コホン、仰ってたんですか! 裏ではそんなこと考えてたんですね、幻滅しました」
「ああ、どーぞどーぞ幻滅なさってください。オズウェルの恋人に幻滅されようが何されようが、俺には痛くもかゆくもありませんから」
「だから恋人じゃないって!」

 この時、アイリーンは気づくべきであった。マリウスが、いつになく子供っぽい屁理屈を捏ねていることに。いつもより情緒不安定になっていることに。

 しかし、人の些細な機微などおくびにも気に掛けないアイリーンは、真っ赤になって同じく言い返すばかり。いつしかその声は、詰所中に響いていた。途中から呆れた様な目で眺めていたオズウェルが、ようやく重い体を動かす事態となっていた。

「おい」
「だいたいね、私、もともとあの人と一緒に見回ってたのだって、マリウスさんが見つかったら困るだろうって思ってのことだったのよ!?」
「俺のことを口実にしないでくれるかな?」
「な……何ですって!?」

 しかし声をかけてみても、当の本人たちは自分たちの世界に入りきったままで、こちらに気付く様子もない。

「おい!」
 腹から声を出してようやく、二人はこちらを見た。オズウェルを視界に入れた途端、ばつの悪そうな表情になった。

「いったいどういうことか説明してもらおうか、マリウス。恋人となんだって?」
 彼らの会話は、騎士から報告を受けるオズウェルの方にまで聞こえていた。あれだけ大声で騒いでいて、聞こえない方が無理というもの。

「い……いやあ、何のことかな……」
「観念しろ。全て聞いていた」
「…………」
「報告に行っていたんじゃなかったのか?」

 自分から全て白状するというのはなかなかに度胸がいる。オズウェルはなけなしの温情で、一つ一つ聞き出すことにした。それが余計威圧感を与えるのだということには気づかずに。

「だんまりか? 報告に行っていたんじゃ?」
「……報告には、行ったよ。でもその帰り……ばったり出くわしちゃってさ、そのまま……ちょっと話してて」
「仕事はそのままでか」
「ま、まあ……」
「騎士団の制服で?」
「うん……」
「制服が泣くぞ」
「…………」

 いよいよマリウスは黙り込んだ。顔を俯かせ、どことなく反省しているような色が見られた。少々言い過ぎたか、とオズウェルもそう思い始めた時、マリウスの頭はバッと上がった。その顔は、理不尽だと言わんばかりの表情が見え隠れしていた。

「……何だよ、俺ばっかり責めて! そういう自分はどうなんだ、リーヴィス嬢と遊んでたんだろ!?」
「ちょっと、私達はそんな関係じゃないって言ったでしょう? 何度言ったら分かるの!」
「そっちこそ、もういい加減隠さなくたって――」
「隠してない!」

 まただ。また二人だけの世界。また自分だけを差し置いて、喧嘩している。
 次第にオズウェルはムカムカしてきた。おそらく、自分だけ蚊帳の外なのが嫌なんだろう。彼はそう結論付けた。

 いい加減人の目もある。どちらにせよ、二人を止めなければと、オズウェルは物理的に二人の間に割って入った。これで嫌でも自分のことが視界に入るはず――。

「一旦落ち着け。お前たち」
「…………」
「…………」

 予想通り、二人は黙り込んだ。しかし次の瞬間。

「もともとはオズウェルのせいだ!」
「そうよそうよ!」
「――っ!?」

 突然矛先が自分に向いた。オズウェルは目を白黒とさせる。こうなりたかったわけではない。

「そもそも、こんなお祭りの日に仕事に駆り出されるなんて、非人道的だ!」
「そうよそうよ! 可哀想だわ!」

 始めはあまりの唐突さに、唖然としていたオズウェルだったが、次第に自分の調子を取り戻した。なんだこの理不尽な構図は!

「それが俺たちの仕事だろうが! 騎士に祭りも恋人も関係ない!」
「だからって……! せめて交代制にするとかいろいろやり方はあったはずだ!」
「くっ……」

 それを言われてしまっては、返す言葉もない。特に何も考えず、いつも通りの人員で見回りするということでいいか、と適当に決めてしまった過去の自分を殴りたい。

「もしもオズウェルが俺のことを咎めないでいてくれるんなら、俺だってこれ以上二人のことをからかったりなんかしないさ。当然見なかった振りをするさ」

 どうだか。
 珍しくアイリーンとオズウェルの心中が一致した。自分たちをからかう時のマリウスは、すごく楽しそうな目をしていた。そんな彼が、見なかった振りなどできるわけがない。

 マリウスは更に言い募る。

「それにさ、もしオズウェルがこんなにも仕事仕事……だなんて言ってなかったら、俺は振られなかったかもしれないのに――!」
「そうよそう――え?」

 続けてまた便乗しようとしていたアイリーンは固まった。今、思わぬ言葉を聞いたような――。

「酷いや、本当に酷い……。まさか花祭りの当日に振られるだなんて誰が考えた? 仕事中の俺に会いに来てくれたのかと思いきや、別れを告げに来ただけだなんて……。あり得ない、酷過ぎる。もっと他に良い機会が合ったじゃないか!」
「…………」
「…………」

 ようやく気付いた。
 今日、マリウスがやたらと絡んできた理由に。
 やたらと恋人の話題に敏感なことに。
 やたらと情緒不安定であることに。

「何でよりによって祭り当日に……」

 悲しそうな囁きが彼の口から漏れる。
 何を言おうか、何を言うべきか。
 迷いに迷って、アイリーンはさっとオズウェルの脇を小突いた。何か言いなさいよ、との意味を込めて。

「その……何て、言われたんだ」

 そこ聞く!?
 野次馬並の粗野な質問だ。そこには興味しかないのだろう。いや、彼なりに話を聞いてあげたいという思いがあるのかもしれないが、しかし――。

「祭りにも一緒に行けない人とはやっていけないって。休日に一緒に出掛けたりとか、家でまったりとか、普通のことでいいからもっとしてみたかったって」
「…………」
「…………」

 何も、言えなかった。
 マリウスの彼女とやらがもっと酷い人だったならば、彼の愚痴を共感しながら話を聞くだけでいいだろう。しかし、まさかの常識人――いや、それどころか普通に良い恋人……だった人。

 真っ向から対決するならいざ知らず、人を慰めるなど、生まれてこの方、アイリーンはしたことがなかった。

 だから彼女が悩みに悩んだ挙句、その行動に移ったのは仕方がないと言うか、自分本位というか……。

「あ……っと、そろそろ私、帰らなくっちゃあ……! 弟たちも心配していることだろうし……」
「あっ、おい!」
「ごめんなさいね、話を聞いてあげられなくって。私の分も頑張ってね!」
「ちょ……待て、逃げるな!」

 おほほ、と笑い声でも漏れて来そうなくらい軽やかにアイリーンは去って行った。後に残るは、どんよりと落ち込むマリウスと、ダラダラと冷や汗を流すオズウェル――。

「話、聞いてくれる?」
「…………」

 彼がこうなってしまったのは、自分にも原因がある。
 オズウェルは引き攣った笑みで頷くしかなかった。