第十話 石に立つ剣
58:王宮参上
ガラガラと鳴る厳かな馬車の中は、しーんと静まり返っていた。談笑するでもなく、視線を交わし合うでもなく、ただ真正面を睨み付けている男女二人と、視線を窓の向こうへと飛ばす少年が一人。――カインに城へとお呼ばれしたアイリーン、ウィルドと、その護衛を仕ったファウストである。
「……くそ」
しかしこのファウスト。何やら不満そうである。しかしそれもそのはず、彼は王立騎士団に属する身。本来ならば、王族の護衛や城の警備などがその最たる仕事で、貴族の送迎は彼の範疇ではなかった。
王立騎士団に属する者は生粋の貴族の生まれの者が多く、そうなると、一介の、しかも没落した貴族のお出迎えなど、ファウストの矜持が許すわけがなかった。……のだが、王族であるカインから命令されてしまえば、断ることなどできるわけもない。そうして泣く泣くアイリーンたちの護衛をしているという訳だ。
しかし不満たらたらな者に護衛をしてもらうなど、アイリーンからしても良い気はしない。加えて、このファウストは、先日子爵家宅に無理矢理侵入し、数々の暴言を放った人物でもある。自然と彼を見る目が厳しくなるのも当然だ。
そして最後の一人であるウィルドは、物憂げに窓から見える外の景色をボーっと眺めていた。何を考えるでもなく、ただボーっと。調子に乗って何かをやらかすような気配は微塵もなかった。
ウィルドは中々の問題児である。放っておけばすぐにどこかへ飛んで行ってしまうし、物を壊すこともある。正直なところ、居残り組のステファンとしては、今回のお呼ばれが心配でならなかった。国王のおわす王宮に問題児が呼ばれてしまったのだから、それも当然だ。加えて、監督役のアイリーン。問題が起こった場合、ウィルドに姉一人を加えたからと言って、何か変わるとも思えない。むしろ火に油を注ぐことになるんじゃないか。そう思ったが、結局ステファンは何も言わなかった。無駄に姉を拗ねらせて、事態が余計ややこしくなっても面倒だった。
そうしてステファンは心配そうに姉とウィルドとを見送ったのだが、彼の予想をはるかに超え、事態はややこしいことになっていた。何しろ、アイリーンと犬猿の仲であるファウストが護衛をしているのだから。
「何で俺がこいつらの護衛なんか……!」
ついにファウストから不満が漏れた。思わずといったような小さな声だったが、アイリーンがこのような聞き捨てならない台詞を見逃すわけがない。というか、先ほどから彼のあからさまなため息にはうんざりしていたのである。これ幸いとばかり、こちらも不満を爆発させようと思っていた。
ウィルドのお目付け役であるはずの彼女は、バシッと扇子を閉じ、真っ直ぐにファウストを見据えた。その目はやる気満々だった。
「あらごめんなさいね。何しろ殿下の御友達ですものねぇ、ウィルドは。それ相応のおもてなしがあるのは当然だと思うのだけれど」
「下賎な奴らと交流なんか持ったらそれこそ王族の品位が落ちる。殿下は何をお考えなのだろうか」
「あら? それは殿下に対する侮辱ととってもよろしいんですか?」
「なっ、そう言う意味ではない! 俺はただ殿下の身を案じてだな……!」
「もうすぐだよ師匠。王宮が見えてきた」
「あら本当。楽しみねえ」
「話を聞け!」
ファウストは激高するが、アイリーンたちは相手にしない。もう目前に迫った煌びやかな王宮に、早速心躍らせていた。
王宮に着くと、馬車は多くの出迎えの一行の前で静かにその歩みを止めた。物々しい出迎えの多くはカインの護衛である。整列した中央にカインが立ち、彼を守るかのように護衛達の視線は馬車に向けられる。その射抜くような視線にアイリーンがしり込みするのも、仕方ないと言えば仕方ない。
が、そんな姉を差し置いて、まずウィルドが行動を起こした。何の躊躇いもマナーもなしに、はしゃいだ様子で馬車を飛び出したのである。呆れてものも言えないアイリーンを残し、ファウストがそのすぐ後に降り立った。
「…………」
ファウストに続いて馬車を降りようとしていたアイリーン。自分に差し出された手を見て固まったしまった。その手はもちろんファウストのもの。
アイリーンに手を差し出す彼の顔は、思いっきり眉間に皺が寄っていた。その手にエスコートされ、馬車から降りるアイリーンの顔も、思いっきり引き攣っていた。
馬車の中で何かあったのだろうか。
二人のその様子を敬礼しながら見守る出迎えの一行の顔は、思いっきり興味津々だった。
「ようこそ」
そんな大人たちを差し置いて、カインが一歩前に出た。まだ幼いその顔には、僅かに憔悴の色が見て取れる。
「知らせを聞いた時はびっくりした」
「知らせ?」
アイリーンはきょとんと聞き返す。招待を受けたのはこちら側なのだから、どちらかというと知らせを聞いたのはこちら側ではないのか。
「あっ……じゃ、早速だしカイン、俺たちに案内してくれよ!」
なぜかウィルドの方が慌ててカインの肩を叩たく。戸惑った様子でカインは笑った。
「ああ、そうだな。でもまずは僕の部屋でゆっくりしないか? 馬車に揺られて疲れただろう」
「そうさせて頂くわ」
カインの有り難い言葉に、すかさずアイリーンは頷いた。いくら馬車が王宮御用達のそれだとはいえ、石畳を長時間揺られるのは辛かった。お尻も限界なことだし。
しかしそんなアイリーンに反してウィルドは不満そうだ。やはり野生児。
「別に俺は全然大丈夫なんだけどなー。誰かさんだけ休んでればいいじゃん」
「あら、随分寂しいことを言ってくれるじゃない。折角なんだから、王宮の中も見てみたいと思わない?」
にっこり笑うアイリーンの顔は、有無を言わせない気配があった。渋々ウィルドは頷いた。
「部屋にはお菓子も用意してるから」
「あら、それは有り難いわね。丁度小腹が空いていたの」
カインの護衛という立場のせいか、後ろをついて来てはいるものの、ファウストは全く口を開こうとしなかった。そのことに機嫌を良くし、アイリーンは軽い足取りでカインの部屋へ向かった。部屋の中にも彼は入らないらしく、ようやく一息つけたと彼女はご満悦だった。おまけに目の前には美味しそうなスコーンがならべて出されると来た。
「あらおいしそう。頂くわね」
一つ摘まみ、口へ運ぶ。贅沢に砂糖をたくさん使用したそれは、どこか高級な味がする。
「ね、本当にもう行こうよ。時間が勿体ない」
「ちょ、ちょっと待ってよ。せめてこれ全部食べてから――」
「師匠……節度を守ろう?」
「なっ……」
思わずアイリーンはポロッと口からスコーンを零した。ウィルドの呆れたような視線に、目を見開く。
いつも節度を守っていないのはウィルドの方じゃない……!
出されたものは全て食べよというのが子爵家の家訓だが、それをいつも一番忠実に守っていたのは紛れもないウィルドだ。
「くぅ……!」
悔しそうな声を上げながら、それでもアイリーンは菓子を口に運ぶ手を止めることは無かった。勿体ないし。
「よし、じゃ、じゃあ行きましょうか」
それからしばらく後、ようやく全ての菓子をお腹に収め、どこか満足げなアイリーンは辺りを見回した。
「あれ、ウィルド? カイン?」
しかしそこに二人の少年の姿はない。隠れているのかとソファの後ろ、テーブルの下まで探してみるが、二人が見つかることは無かった。虚しい気持ちになって部屋を出る。気の早い少年たちは、アイリーンが食べ終わるのを待たずに先に行ってしまったようだ。しかしすぐに、お菓子を頂く少々の時間すら待てないのかと怒りが込み上げてくる。ふんっと口をひん曲げながら、アイリーンはカインの部屋の前の護衛に顔を向けた。
「殿下とウィルド、二人がどこに行ったか分かります?」
「お二人ならそちらへ走って行かれましたけど……」
「そうですか……!」
やはりそうだ。姉を差し置いて王宮内を見学するつもりのようだ。
しかしそこまで考えてはたと気づく。ウィルドは見学という地味な事柄を楽しむ性格ではないことに。
「となると、外かしら……?」
ぶつぶつと独り言を言いながらアイリーンは歩みを進める。時々奇妙な者を見る目でメイドたちに見られるが、特に何を言うでもなかった。カインの客人が来るとお達しでもあったのかもしれない。
そのまま外へ出ると、彼女の足は、流れるように庭園へと向かった。綺麗に揃えられた生垣に、かぐわしい香りで来るものを迎えてくれる花壇。きっと二人はこっちね、と現実逃避しながらアイリーンは庭園を散歩した。普段草原や石畳を歩くばっかりで、このように心躍るような場所は久しぶりだったのである。
しかし当然このような場所にウィルド達がいるわけもなく、また、そのあまりの大きさに、アイリーンは迷子になりかけていた。
「何よここ。いくら何でも広過ぎよ」
思わず不満が口から漏れる。決して自分のせいだと認めないのは、彼女の性分である。
しかしそろそろ本当に歩き疲れたところで、アイリーンは東屋を発見した。大きな池の上に道が作られ、その先に屋根付きの東屋。
すっかり彼女は機嫌を良くして東屋に駆け込んだ。マナーも何もあったものじゃないが、備え付けられていたベンチに腰を下ろし、大きく深呼吸をした。
花壇の方から漂う花の香りに、遠くから微かに聞こえてくる鳥の囀り。
世界から取り残されたようなその場所は、疲れ切ったアイリーンを眠りの世界に導くには充分なものだった。数秒と立たないうちに、彼女は寝息を立て始めた。ウィルドやらカインやらのことは、頭からすっかり消え去っていた。