第十話 石に立つ剣
55:頼み事
灯りも付けずに、オズウェルは暗い部屋のベッドにて、ぼんやりと寝転がっていた。王子の襲撃事件からおよそ二か月が経とうとしている。まだ彼の謹慎処分は解かれていなかった。だが、謹慎と言っても騎士団隊長としての仕事が無いだけで、もちろん外出は容認されている。しかし自身を戒めるという意味でも、オズウェルはここ一か月全く外へ出ようとしなかった。
部屋の中で軽い鍛錬はしているものの、そろそろ隊の訓練でもしなければ体が鈍ってしまいそうだ。というか、もう鈍っている。脳筋のオズウェルにとって、謹慎は最も堪えた。
「隊長」
控えめにノックの音が鳴らされる。オズウェルは身を起こした。
「何だ?」
「あの、隊長に会いたいっていう人が……。ウィルドって名乗ってますけど。子供です」
オズウェルは僅かに括目した。それほど珍しい相手だった。
「出られないと伝えましょうか?」
「いや、いい。部屋に通してくれ」
「分かりました」
足音が遠ざかっていく。ベッドから立ち上がると、早速灯りをつけ、身なりを整えた。部屋から出ないせいで、近ごろ様相にも無頓着になり始めていた。
「隊長さん。入っても大丈夫?」
「ああ、入ってくれ」
ウィルドは小さく頷くと、そっと扉を開けた。恐る恐るといった様子で入って来る彼に、オズウェルは苦笑を零した。
「何だ、どうかしたのか?」
「うん……。ちょっとね」
「座るか」
「うん」
どこか思い詰めたような顔でウィルドは柔らかな椅子に腰を下ろした。しかしすぐにすぐにハッとしたように頭を下げる。
「急に来てごめん」
「いや、大丈夫だ」
「カインから聞いたんだ。謹慎……って。だから心配になって」
「殿下にも伝えたが、二人が気に病むことじゃない。全て俺が甘く見ていたせいだからな」
「あの……」
「悪かったな、この前は。怖い目に遭わせて」
「別に……気にしてない。隊長さんは悪くないじゃん」
手慰みにウィルドは手を組み合わせる。
「あの……さ」
またぽつりと口火を切った。
「カインはいつもあんな目に遭ってるの?」
「……次期国王第一候補だからな。危険な目に遭うことも多々あった」
「カインに味方はいるの?」
「どうだろうな。笑みを浮かべながらごまを擦って殿下に近寄る連中も、いつ裏切るか分かったものじゃない。殿下は――」
流暢に話していたオズウェルだが、ハッとしたように口を噤んだ。ウィルドはそれを見逃さない。
「どうしたの?」
「いや、国の根幹にかかわることだからな、これ以上は――」
「教えてよ。俺、カインの力になりたいんだ」
ウィルドの瞳はあくまで真剣だった。フッと力を抜くと、オズウェルは再び話し出す。
「殿下は、正当な血筋じゃないんだ。もともと先代の国王には、王妃と妾が二人いた。王妃に子は無く、殿下は……妾の子として産まれたんだ」
「妾って……」
「ああ、殿下の母君は、王妃に比べると遥かに地位が低かった。国王崩御の後、王子の身分である殿下が王位継承権第一位となったが……。まだこの国にはそれを不満に思う輩がいる。いつ反旗を翻されるのか、こちらも警戒が抜けない状態なんだ」
「そっか……」
難しいことはよく分からない。
しかしウィルドは彼なりに理解しようと必死だった。
「……カインのせいじゃないのにね。カインは好きで王子に生まれたんじゃないのにね」
「……そうだな」
「カイン、この前屋敷に来て俺に言ったんだ。もうここには来ないって」
オズウェルは黙って頷く。
「そうか……。俺の所にも来た。迷惑をかけてすまないと」
「俺……頼みがあるんだ」
「俺にか?」
ウィルドはしっかりと頷いた。
「隊長さんにしかできないことなんだ」
「じゃあ俺からもいいか?」
「え……俺に頼み?」
「ああ」
驚き過ぎて、ウィルドはポカンと口を開けてオズウェルを見返した。
「何だ、俺が頼みごとをするのがそんなに珍しいか」
「うん」
しかし慌てて首を振る。
「いいや、あっ、うん。じゃなくて、頼みごとについては、うん」
「一体どっちなんだ」
思わずオズウェルは苦笑を漏らした。
「でも、俺なんかに……」
「大丈夫。簡単なことさ」
オズウェルはにっこり笑った。
「ウィルドにしかできないことだ」
「……うん、分かった。喜んで引き受ける」
「交渉成立だな」
男と少年は、ほの暗い一室で固く手を握った。
*****
近ごろ、ウィルドの様子がおかしい。
ばりっと煎餅を齧ると、アイリーンは眉間にしわを寄せたままもぐもぐと口を動かす。
どこがどんな風におかしいのかと聞かれても、上手く答える自信はないが、しかし妙にこの頃彼の様子がおかしいことだとは、ただ漠然とわかる。
第一に、時折物思いに沈んだような表情をすることが多くなった。
エミリアに同意を求めてみても、えーあのウィルドが?とまともに取り合ってくれないが、しかし確かに時々ボーっと宙を見つめることが多くなった。
第二に、最近ボロボロになって帰ってくることが多くなった。
と言っても、以前の様に服をボロボロにして帰ってくるのではなく、身体的にまさに満身創痍と言った風の様相で帰ってくるのである。心配するのが当たり前というもの。
これら二つの不可解な点により、アイリーンはウィルドの様子がおかしいと結論付けた。しかしそうは言っても、なかなかウィルドに何があったのかなど、直接聞けないのが辛いところ。今までも放任主義というか、なるようになるという考え方で放っておいたので、急になんだと嫌がられないか不安になった来たのである。
しかしかといってアイリーンがそれとなく尋ねたところであのウィルドのことだ、またすぐにはぐらかしそうで、アイリーンは悩むに悩み切っていた。
今もそう。
再びアイリーンは煎餅をかじった。
ウィルドも煎餅いる?とおずおず誘ってみたところ、ものの見事に拒否されてしまった。その際に向けられた彼の瞳は絶対に忘れるものか。師匠は悩みが無くていいねえとでも言いたげなあの瞳!
あの頃は可愛かったなあとアイリーンは現実逃避してみる。
ウィルドが初めてこの家にやって来た日。
慣れた手つきで畑仕事をやってくれた日。
いろいろと字や言葉を教えてあげたら、すげえすげえと目をキラキラさせて師匠と呼び始めたあの日。
そこまで考えると、アイリーンは酷く不安になった。突然現れたあの日のように、ウィルドがどこか遠くへ行ってしまいそうな、どこかへ消えて行ってしまいそうな、そんな気持ち。